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『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』 若松孝二監督インタビュー

「正しいとか間違ってるとか、言われたくない」と若松監督は語るが、この映画を世に送り出したその意義は、まぎれもなく正しい
 

戦後日本の歴史を語る上で目を背けられない、連合赤軍による「あさま山荘事件」の全貌を、「99パーセントの真実」で描いた『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』(2008年3月22日(土)公開)。

メガホンをとったのは、『甘い罠』(1963)など性と暴力に鋭く切り込みながらも強烈なメッセージ性を秘めた作品を量産し、1960〜70年代の学生たちに熱狂的な支持を集めた鬼才・若松孝二。1971年にはパレスチナのゲリラ闘争を描いた『赤軍 PFLP世界戦争宣言』、さらに爆弾テロを題材にした1972年の『天使の恍惚』など問題作を連発、公安から目をつけられて「日本一、ガサ入れの多い映画監督」としても知られる、まさに日本映画界のアウトローだ。

そんな過激派の若松監督が連合赤軍を撮る――。この映画を作るにあたって、「正しいとか間違っているとか、そんなこと、言われたくない」と、映画作家としての究極を口にしたが、しかし「当時の事件を知る人間」としてこの映画を世に送り出した意義は、まぎれもなく正しい。自身のキャリアの集大成といえる。若松監督は「俺ももう70歳を過ぎた。テメエが死ぬとき、何もやり残したことがないようにしたい。自己満足じゃないけど、自分に対してのオトシマエをつけておきたかった。でもね、周りはみんな“これが遺作だ”なんていうけど、いや、まだ3本は撮るよ」

魂の1本。そう呼ぶにふさわしい“連赤”は、早くも海外で高く評価され、2008年のベルリン映画祭では2部門(国際芸術映画評論連盟賞/最優秀アジア映画賞)を制した。「『実録・連合赤軍』とともに、1965年ベルリン映画祭コンペティションで上映された『壁の中の秘事』の再映もあったけど、当時、あの作品は日本国内で国辱扱いされた。だからスピーチの壇上で『今回は(賞を撮ったから)国辱なんて言われないで済みます』と皮肉を言ってやった。もし俺の作品がボロクソに言われて、『母(かあ)べえ』が何か賞を獲っていたら、相当ショックだったけど(笑)」。

若い映画ファンの多くは、この題材に対して「ちょっと重そう」と腰が引けるかもしれない。しかし心配無用。これが、とにかくおもしろい! もちろん、連合赤軍内での「総括=仲間殺し」で実際に多くの若者が絶命した事実に対し「おもしろい」と言っているわけではない。この作品は、「なぜ」を徹底追求している点が「おもしろい」のだ。一流大学に入り、卒業後の進路も明るいハタチそこそこの若者たちが、どうして社会に意義を唱え、大学を占拠し、銃を構えて権力に闘いを挑んだのか。そしてあさま山荘の中ではいったい何があったのか。若松孝二監督の「なぜ」へのこだわりは、“実録”というタイトル、そして190分という上映時間にそのまま表れている。

「『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002)という映画があったけど、あれは権力側から描いた一方的な映画。映されているのは警察の手柄だけ。だから別に連合赤軍じゃなく、例えば強盗が山荘に立てこもって、そこに警察が突入しても成り立つ話。肝心なのは、なぜ彼らがあそこに立てこもったのか。そこをちゃんと見なきゃ、闘った若者たち、そして死んでいった者たちがあまりにかわいそう。これまで(主演の)役所広司は好きな俳優だったのに、あれでいっぺんに嫌になった(笑)。あと、若松プロの高橋伴明『光の雨』(2001)、大阪芸大の熊切和嘉『鬼畜大宴会』(1997)もあるけど、彼らに『そうじゃないんだ』というのを、きちんと残さなくてはいけない。普通に大学を卒業したら出世コースにのる若者たちが、なぜ私利私欲を捨ててああいう行動をとったのか。そこが重要なんだ。それを描いたから190分の上映時間になった」

「この映画を観て勇気をもって欲しい」という若松監督。観た者としては、本作に出演した役者陣の勇気も買いたい。坂井真紀さんは総括シーンで自分で顔をボコボコに殴るし、ARATAさんの鬼気迫る演技もすごい。「俺はふたりの名前すら知らなかったんだよ。映画を撮った後にARATAが出ていた『ワンダフルライフ』(1999)を観たけどさ、もしあれを撮影前に観ていたらARATAをキャスティングしていなかったよ(笑)。でも本当に今回は役者に恵まれた。坂井さんをはじめ役者みんなに、『マネージャーやお付きは連れてくるな。衣装もなし。メイクアップは自分で。もし何かスケジュールが入るかも知れないなら、今すぐ降りろ』と言い渡していた。あさま山荘のシーンで立てこもった5人の俳優も、3日間風呂なし。ずぶ濡れになった服を次の日もそのまま着ていたし。でもみんな、この撮影を経験してものの考え方とか変わったみたいだ」

後にも先にも、連合赤軍をテーマにしたこれほどの傑作は出てこないだろう。いや、もう誰も作れないのでは。「こういう映画を撮れるのは自分しかいないと思っている。あとの監督はみんな、犬を撮ったり、漫画を映画にしてりゃいいんだよ。人が死んで感動する映画なんて、俺なら目を閉じても作れる。でも死はあんなに簡単なものではない。テレビゲームじゃないんだ。映画を作る人間も、ちゃんとそれを考えなきゃいけない。なぜ死ななければならなかったのか、そこが大事なんだ」

今のヒット映画の主流は“死”と“泣ける”が密接に隣り合ったものが多く、そういった作品に製作資金は集まる。しかし、若松監督は借金までして2億円以上を本作つぎ込み、あさま山荘のラストシーンでは自分の別荘をつぶしてまで撮影している。圧倒的な説得力である。

例えば、2007年度アカデミー賞作品賞を獲った『ノーカントリー』は、「最近は動機がわからない犯罪が多すぎる」という言葉で始まる。しかし若松監督なら「わからないで済ませるな。映画を作るなら、ちゃんとそこを描け」と堂々、ケンカを売るだろう。そんな若松監督、「仮にアカデミー賞にノミネートされたらどうします?」という質問に、「アメリカ政府から“日本赤軍の黒幕で国際テロリスト”とみなされているから、入国したら捕まっちゃう。だから行けないよ」と大笑いしていた。


Text:田辺ユウキ


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若松孝二監督

若松孝二監督 プロフィール
1936年生まれ。ピンク映画『甘い罠』で監督デビューを飾り、その後、若松プロダクションを立ち上げ足立正生や大和屋竺、山本晋也らを輩出。監督代表作は『赤軍 PFLP世界戦争宣言』(1972)、『天使の恍惚』(1972)、『水のないプール』(1982)、『われに撃つ用意あり』(1990)、『17歳の風景 少年は何を見たか』(2005)など多数。1960〜70年代のカウンター・カルチャー・シーンに風穴をあけた日本最高峰の鬼才。


『実録・連合赤軍
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