毎日を丁寧に生きていくために、
旨い酒を飲ませてくれるバーがある。
例えば、天王寺の[グリルマルヨシ]で、オムレツと瓶ビールでナイターを見る。10時に試合が終われば、井川のピッチングや赤星の走塁にヤイヤイ注文を付けたり、オネーチャンの話もしたくなるので、「今からどこに行くか」の答えは、私にとってノータイムで「バー」である。
白鶴の透明な一合瓶が似合う大先輩は「バーで(胃腸と)悶える」そうだし、「バーボンソーダ!」連発な上司はまだまだ「酒場は厳しい」と襟を正している。こと私といえば、そんな先輩たちに扉を開けてもらったバーに行くことは、ただ「嬉しくてたまらない」。
確かにバーでは斜向かいに座るヤヤコシイ中年に絡まれて一触即発、もしくは良い酒を飲めず高歌放吟、あげく記憶をなくすことだってある。もちろん思わぬ旨い酒に巡り会えたり、マスターの酒瓶を拭く仕草一つで嬉しくなったりもするわけで、常に空気が動いている「狂気と驚喜を脈絡なく投げかけてくる場所」だと思っている。
もしかしたら、ファーストフードやカフェといった、あらかじめハプニングが起こらないように構造化された空間で生活しているから、バーの「奥行き」に掛け金を置きたくなるのかもしれない。
「会社で嫌なことがあったから」「今日は精一杯頑張ったから」「ただ天気がいいから」。バーに通ううちに、そんな「日常生活の延長にある一杯」のため、毎日を丁寧に生きていく値打ちを感じるようになってくるはずだ。
(文:藤本和剛)
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