
前作『CATCH』で10周年を迎えた小谷美紗子。「ようやく始まった」と語ったあのころから1年が経過。2007年6月13日、小谷のニューアルバム『Out』がリリースされた。セルフプロデュースの3作目であり、Dr玉田豊夢、Ba山口寛雄とのトリオでも3作目。力強くも切なく、そして、優しい、そんな相反する感情が共存するアルバム『Out』の世界。走り始めたシンガーソングライター・小谷美紗子の想いを聞いた。
2006年には10周年を迎えて、やっと始まったなっていう感覚がありました。その年ぐらいから、野外のフェスにいっぱい呼んでもらったり、たくさんのミュージシャンにいろんなイベントに誘ってもらって、すごくいっぱいライブをやったんですよね。そういう意味でも始まったなって感じがして。そんな中で良い曲を作りたいなっていう気持ちを持ちながら曲を作って、バタバタバタと何も考えずに自分がやりたいことをやっているという1年でした。
__やりたいことをやり続けた1年。出来た瞬間はどんな心境だったのでしょう?
毎回アルバムを作るたびに「やったー(できた)」と思っています。11年くらいやっていても変わらない感じです。トリオで3枚目だから、よく3部作みたいなことも言われたりしますが、考えてないですそんなこと。現在進行形でやりたいことをやっています。
__このアルバムは、トリオが板についたというか、すごく居心地のいい場所で演奏している感じが伝わりました。
すごいやりやすいですね。まだあのふたり、30とか31歳くらいなんですけど、すごい上手なんで。やっぱり大御所の人とやると、なんでもフランクに言いたいこといえる程では無かったんです。それでも結構言わせてもらったんですけど…。今はほんとに同世代で何でも言えるのでめちゃくちゃやりやすい。レコーディングを3人でしたっていうのはまだ3作なんですけど、その前からライブをやったりしていたので、そういう意味で付き合いは結構長い。ベースの寛雄君とドラムの豊夢君はもう13年くらいの付き合いで、もともと学校も一緒。そんな2人がたまたま同じ音楽業界で活躍してるっていう、奇跡的なふたりなんですよね。だから、ふたりはほっといても大丈夫というか、私がちゃんと良い曲を書いてればちゃんとあわせてくれますから。
__まさに信頼関係ですね。
そうですね。すごい信頼関係です。
__この先しばらくは、このトリオで活動を?
もちろん、曲によってはギターを入れたいと思う曲もあるかもしれないし、ストリングスとかも考えられる。でも、たぶん私が自分でプロデュースをするときに誰かドラムいないかな、ベースいないかなってなったら、絶対、寛雄君と豊夢君になると思いますよね。
__おふたりとの出会いはいつだったんでしょう?
2003年に出した『night』っていうアルバムで、最初にドラムの豊夢君にスタジオミュージシャンとして参加してもらったのがきっかけです。その時に、このドラムやばいなって思ったんですよね。いろんな意味で環境には恵まれていたんですけど、なかなかフランクに会話できる人がいなくて、そんな中で豊夢君が出てきたので、「これはちょっと、押さえとかんと」と。その後、豊夢君が1番信頼してるベーシストを紹介してもらう事になり、寛雄君とイースタン・ユースの二宮さんと二人の名前が出てきて、最初は二宮さんが忙しい時には寛雄君、寛雄君が忙しい時には二宮さんて感じで別々にやっていましたが、徐々に二宮さんが、ライブで忙しくなって、寛雄君とずっとやってきているなかで、グルーブも出ているので、この3人で行こうみたいな。
__そんなふたりと作られて、今回のアルバムには、どことなく優しさが感じられたのですが。
よかったです。全体的に頑張れっていうことと、頑張るなっていうことを両方言ってるアルバムなんですよね。「頑張れ」っていう言葉は人によって励みになる時もあるし、そうじゃない場合もあると思うんですよね。私と同じ心境の人とか同じじゃない心境の人にも、両方にあったかいものを出したかったんです。キツイ言葉を並べつつも、前向きな言葉に心を込めたつもりですね。メロディーも遊園地みたいな。そういう風にしといて恐ろしいこと言っておくみたいな。
__そんなふたつの想いを込めたのは、どんな気持ちがあったからでしょう。
それだけ大勢の人に聴いて欲しいということですよね。不特定多数が聴くアルバムだから、なるべくみんなに「いいアルバムだった」って、「聴いてよかった」って思って欲しい。それは難しいことだけど、それを目指す努力は続けておきたいっていうのがあって。特に歌詞は自分だけしか分からない言葉もあるし、その方がかっこよかったりする場合もあるんですけど、ここだけはみんながわからないと意味がない、っていうところは、絶対日本語にしたり飾らない言葉にしたりとか気をつけています。
__そんな曲作りは、どういうときに?
だいたい泣くくらい辛い時や、コップとか割りたいくらい腹が立っているときに、物にあたったら割れるからどうしようもないから曲にするって感じです(笑)。
__感情が高ぶっていて、しかもそれが“怒り”。そんな中ででも優しさを込められる人と、そうでない人というのは、根本的に、体験してきたことが違うと思うんです。そのことについて思い当たるきっかけはありますか?
昔から変わってなくて、ずっとそういう感じですね。小さいときからお寺や教会によく遊びに行っていて神父さんやお坊さんの話をよく聞いていて、その時に共通して教えられたのは、“他人に優しくするのが何よりも深い愛”ってことで、それが正しいとか正しくないとかじゃなくて、それはそうなんだって思ってたんです。料理とかもそうなんですけど、自分だけ満足してもそれは孤独なこと。音楽も他も全部共通していて、誰かがよろこんでくれることを想像しながらやっていかないと孤独。寂しいから人のことも考える。人のためにとか、偉そうな感じではなくて、自分が孤独になりたくなくて、愛が欲しいから、「愛ってなんだろう」って考えると、他人に優しくすることだったんです。
__きつい言葉のなかに感じたのは、そういう心の深層にある気持ちだったんだろうなと思います。最後に、もうすぐツアーが始まりますが、今回は、どんなツアーになりそうですか?
『CATCH』ツアーがすごくうまくいって、なんかしんどかったんですよね体力的に(笑)。今回「消えろ」みたいな新曲書いちゃって、「消えろ」は一番しんどいんですよね。もうほんまに倒れそうになって真っ白になって酸欠状態。だから気合いが必要。気合いが抜けた瞬間にそのしんどさが、どっと来るので気合いを入れまくるライブにしようと思います。
「兄のライブハウスがアメ村にあるので、大阪に来たときは必ずと言っていいほど、アメ村には行きます」と、意外な答えが返ってきた小谷美紗子さんの関西事情。「こういうところは、大阪にしかないですよね。渋谷のセンター街とかもありますけど、東京は若者でも田舎者に思われないように、って一生懸命さが見える。でも、大阪はそういうのは感じないし、安心します」。京都の実家は、東京からだと意外に遠いらしく、小谷さんにとっては「日本のチベット」。そんなこともあり、大阪に帰ってきたら、“あっ、戻ってきたな”と思うのだとか。
1976年京都府宮津市出身。1996年に『嘆きの雪』でデビュー。さまざまなプロデューサーのもと、シングル、アルバムをリリースしてきたが、2005年4月にリリースをした『adore』から、セルフプロデュースを始め、バンドも玉田豊夢(Dr)、山口寛雄(Bass)というふたりの固定メンバーで現在まで活動。心にストレートに響いてくる歌詞が特徴的で、そのえぐるような強い言葉がリスナーの心をとらえている。
◆小谷美紗子 official site:http://www.odanimisako.com/

「Trio TOUR " Out "」
2007年7月4日(水) @心斎橋CLUB QUATTRO
OPEN 6:30PM/START 7:30PM
前売:¥4,500(入場整理番号入り/Drink代¥500別)
当日:¥5,000(入場整理番号入り/Drink代¥500別)
>> 詳細はこちら
| 2008年 | 2007年 | 2006年 | 2005年・2004年 |
![]() |
分かりやすく、そして、突き抜けたい |
![]() |
Jポップっていう世界で勝負していくと腹を決めてるんです |
![]() |
歌ってるときに血がアツなったり、感情が高ぶって歌詞を書いたり、そういうことで生きてることを感じたりするんです |
![]() |
「あっ!ちょうちょや」これは、ベベチオでやりたかったことなんです |
![]() |
12篇の歌が終わったあとに残るもの |
![]() |
150キロのストレートじゃなく、120キロくらいのストレートを放って客にバカバカ打たれたい |
![]() |
今の生活を肯定できるような歌でありたい |
![]() |
言葉が音に寄り添い、音が言葉に寄り添う |
![]() |
自分の解釈で楽しんで欲しい |
![]() |
スチャダラだけではこういうリズムの曲はやんないな |